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ジャック・マイヨール
1927年 上海生まれ。
1966年、39歳の時、水深60mのフリーダイビング(素潜り)に成功。
以後記録を次々と塗り替え、1976年、ついに人類には不可能とされていた水深100メートルの
壁を破った。その偉業は世界中に配信され、閉息潜水の第一人者として不動の存在となる。
映画「グラン・ブルー」(1988年)のモデルとしても知られている。
----今日はマイヨールさんの、フリーダイビングだけではなくて、それに至るヒストリーなどもお聴きしたいと思います。

---まず最初に、マイヨールさんは上海でお生まれになった・・・

(日本語で)生まれました。

---えっ日本語OKなんですね。

私がしゃべる日本語はこれだけです
「私はフランス人です、でも上海で生まれました」(笑)
「なまけもの」というのも知ってる(笑)

---日本にも唐津の方に良く見えていたようですね、子供の頃に。
その唐津でイルカと初めて会われた・・・

そうです。7歳の時、すでに10m以上の深さのダイビングをしていましたが、そこでドルフィンと出会い、一緒に泳ぎました。

---7歳で10mのダイビングですか。

その時に、彼が私になにか訴えかけている気がしました。
ドルフィンとは一生関係を持っていたいと、その時、心に決めたような気がします。運命的なものを感じたんですね、きっと。

それよりもっと若い頃、私は島のように大きな鯨の夢をよく見ました。
悪夢ではないですよ(笑)鯨の上に私が乗っている夢です。
その夢を見るたびに、父に「なんでこういう夢ばかり見るのだろう」といつも尋ねていたのですが、父は
「子供だからイマジネーションが強くて、読んだ本のせいなどで夢を見たのだろう」と、あまり相手をしてくれませんでした。
でもその夢は現実として、今でもあります。
世界で一番大きなクジラとダイビングする事です。
それをするまでは死にたくないですね。それが出来たら自分の人生は満足なのです。

---それからマイヨールさんは、マイアミに渡られて恋人に出会う事になる・・・

クラウン(イルカ)と結婚したかって?(笑)

---そうです、最愛の恋人について聞かせて下さい。

その水族館にはオスのイルカが全然いなくて、メスだけが5、6頭いました。
私が潜ると、そのクラウンだけが寄ってきて、私の髪-当時は短く刈っていたのですが、を引っ張るのですね。
トレーナーの人も「そんな事をしているのを見たことがない、そうとう好きみたいですね」と。
ま、とにかく、その時から私は、(引っ張りやすいように)髪の毛を伸ばしました(笑)

それから、そこに一年半ぐらい働く事になりました。
よくクラウンと一緒に、息を止めて泳いで遊んだりしました。本当はそこでしてはいけない事なんだけど、内緒でね(笑)
精神的なコミュニケーションが彼女と沢山あり、色々な事を教わりました。閉息潜水という事に対してね。

1959年にマイアミを離れてケイコス諸島に行く事になり、クラウンに教わった事を海の中で実践してみました。
一番大切な事は何か?イルカみたいな事をしたければ、彼らが考えている事を理解しないと、出来ないなと・・・

私はよく水の中の動きが他の人と違うと言われるのです。
本当に頭を空にして海の動物として海に入る。
慣れてくるとイルカと目が合うと、目でなにを考えているかが、解るんです。

15年後に(クラウンが死んだ後に)また水族館を訪れた時の事です。
トレイナーは水面を泳いでいて、私は水の底にジッとしてました。
その私の元に、あるイルカがやってきました。私が「ハロー」と敬礼をしたところ、
そのイルカが私の手のところまで顔をすり寄せて来たんですね。キスまでしてくれました。
トレイナーは「どうしたんだ、そんなのを見た事がない」とびっくりしてました。
私も死んでしまったクラウン、15年も前とまるで同じだと感動していましたが。
実はそのイルカはクラウンのドーター(娘)だったんですね。
---マイヨールさんはヨガの呼吸法を学んだと伺いましたが・・・

イルカとかクジラの水棲動物、彼らは呼吸をコントロール出来るんです。
普通の動物、陸に住むライオンなどは、自分の呼吸をコントロールしたりしない。
呼吸をコントロールするという事、脳の特別な所をコントロールするという事、
それがキーです。

私たち人間が生まれて来るときは、お母さんの羊水の中にいますね。息はしてない。
酸素とか養分、必要なものは胎盤を通して摂取する。
母の小さな海から生まれて来るときには、普通頭から出てきます。
でもヘソの緒を通して、母からまだ酸素は供給されてますよね。だから死なないんだけれども、ヘソの緒を切られると、
呼吸しなくてはいけない・・・赤ちゃんを逆さに吊してオシリをペンペンなどというのは馬鹿げてますね(笑)
呼吸というのは人間が生きるための一番必要な機能です。母のヘソの緒が切れるという瞬間から、宇宙の空気の中に生きるという事に切り替わる。つまり、「呼吸」は私たちが宇宙と繋がっているへその緒みたいなものなんだ。

イルカ、とかクジラ以外に、地球上に呼吸をコントロール出来る動物がいると思いますか?
精神的な鍛錬をした人間だけがそれを可能とするのです。それがヨギと呼ばれる人たちです。
海に深く潜ろうとしたら、息を長く止めるしかないですよね。
体力ではなくて、脳、頭なのです。
--エンゾ(グランブルーにも登場した、宿命のライバル)は、1974年85mにチャレンジしているときに意識を失ってリタイアしましたが、そのエンゾとマイヨールさんの違いっていうのはどこなんでしょう?

まず映画とリアルストーリーはちょっと違う事を断っておきますが・・・
1966年世界でひとりだけ50mを超えて潜る人がいました。その人がエンゾ・マイオルカだったんです。


彼はとても背が高く、パワフルなシシリア出身の男性です。長い間彼はキングでした。
・・・そこにやせっぽちのフランス人が現れた(笑)彼はビッグでマッスル!(笑)
そいつがその記録を破った。長い間誰にも破ることが出来なかった、医学的にも無理だと言われていたその記録をね。
それで私は毎年1mずつその記録を注意深く、更新して行った。
世間は「誰がそんな事をするんだ、どこの学校の出身者だ」と騒いだが、私は「イルカの学校だ」と答えてあげました(笑)
「ヨガ学校」だとも言いましたね。

彼とはそれから、抜いたり抜かれたり・・・

※彼は1970年に日本を訪れ、伊豆半島の沖で世界記録を出している。
1971年にイタリアに戻ったマイヨールは、エンゾ(※映画ではエンゾ・マリネール)に再会した。
ここでエンゾとの意見の相違を見る。
マイヨールはスポーツとして様々な器具を用い、より深い記録だけを追い求めるのに疑問を示した。
彼はそれよりも、人間の潜水能力を重視するほうが大切ではないかと考えたのである。
そして10年後の1976年、私は100mの記録を作った・・・誰もが想像さえしなかった記録だったのです。
で、世界が注目したんですが、別に競技ではなかった。2、3人の特別な人だけが競っていただけだからね。
で、100mを記録出来たのだから、それ以上のものがまたやりたくなって、1983年に105mを記録した。56歳の時です。

---wow!

私はもう満足しています。
100mの扉を開いたのだから、後から続く人たちが記録をのばしていってくれればいい。
もう150m潜った人もいます。ペリッツァーリというイタリア人・・・つい2ヶ月程前ですね。

---限界というのがどこまでか解らないですね。

勿論それは、息を止めていられる時間と比例してくる・・・
イルカやヨガから学んだ事は非常に大切な事です。
ヨギと呼ばれているヨガを追求している人たちが、もし潜る事に情熱を傾けたとしたら10分の間息を止めていられるので、
水圧さえ耐えられれば200mも可能だと思う。
勿論みんなが潜る事を好きな訳じゃなくて、釣りをする人、山に登る人・・・でも私がやって来た事は、ひとつの「証明」でもある訳です。私は猿から進化したものではないという事・・・ジョークだけどね。

みんながダーウィン、ダーウィン、ダーウィン・・・ダーウィンのやった事っていうのは大変な事だし、彼の説いたものは当時としては画期的な事だった・・・だけど間違ってる事も沢山あると思う。
科学者じゃないけどマイヨール博士とよんで下さい(笑)
数年後に「人間は水から生まれた」という本を出版しようと思ってます。
私は人間に水棲能力があるっていう事を少し証明したという事ですからね。

---いえいえ「少し」などとご謙遜を

いえいえ何?って感じでしょう(笑)

この都会でクルマという箱に座ってエアコンをつけている人たちには、多分理解のしようがないでしょう。
息を止めて海に潜るっていう事をする迄は、本当に海というものを理解出来ない・・・

---なるほどね。しかしマイヨールさんが100mを記録した事と、人間が月に行けたという事と同等に僕は思ってます。
そういった事でジャック・マイヨールのあり用、生き方がみんなの心に残っているんだと思います。

---ひとつだけ、最後にこれからジャック・マイヨールはどこへ行くのか?をお教え下さい。

夢は沢山ありますよ。
丁度スイスに行っていて帰ってきたところなんですが、オメガ社が鯨のプロジェクトに非常に理解があるので、是非近いうちに実現したいと思っています。油井さんも実現する為に協力して下さい。もう4年もその事をあたためています。鯨のドキュメンタリーは過去にも沢山ありますが、私がしたいのは、そのスピリチュアルな部分までを映しとったものです。
説教じみた表現ではなくて、彼らがいかに美しくて、素晴らしい生き物かっていう事を見せる事によって皆さんに感じ取ってほしいという事。そして食べないでほしいという事をね。
それで3歳の時に鯨の夢をみた自分、それが完結出来るのです。
そしたら、もうそれは嬉しくて、喜びの中に死んで行く事が出来る・・・

---う〜ん・・・心洗われて、もうさっき迄の自分と違った自分になったような気がします。
どうも本日はありがとうございました。

長井律子 + ジャック.マイヨール + 油井昌由樹
3.Apl.2000 at BAR[After the Sunset]